ダンスホールは踊らない

3種類の人間がいる。ダンスホールに一緒に行った人と踊る人間、ダンスホールにいる人と踊る人間、そして、ダンスホールで踊らない人間だ。ぼくはダンスホールには行かない。

AirbnbとかUber、日本ではakippaとか言うけれど、これ以上なにをシェア(リングエコノミー)したらいいというのだろう。

すでにサービスとして成立しているアイディアもあるだろうし、もしかしたら絶賛開発中のものももしかしたらあるかもしれない。

けど特になにも調べたりせずに、なにをシェアしたらいいか考えてみる。順番は思いついた順。

 

●空き家

これはすぐに思いつきそう。日本に空き家は年々増加の一途を辿っていて、たしか8ケタの家がどうしようもない状態のものも含め放置されているはず。日本だとTOMARERUとかのサービスがこれに近い感じだったと思う。TOMARERUってどうなったんだろう。

●本

たとえば、自分の読んだ本を事務局的なところに送る。事務局は送られてきたその本を、他の登録ユーザー宛にその本を送る。それをたくさんのユーザーでやる。なんかちょっとその本のレビューとかを書いて次の人に紹介してもいいし、手紙をそっと添えてもいいかもしれない。こんな感じの本屋さんがあった気がする。どこからお金取るんだろうということと、郵送料がすごくかかる。郵送料半端ない。

●靴

靴好きな人は多いし、ちょっとあるかもしれない。コインロッカーみたいなところから借りるのでもいいし、お店みたいなのを作って借りるでもいいかもしれない。クレジットのみの精算にして、スタッフもいらなくなるだろう。借りる人は時間あたりに料金を払って、気に入れば安く購入もできるとか。企業の在庫整理とかB級以下の製品の整理とかPRにもなりそう。個人的には、人の履いた靴はあまり履きたくないな。

●子供服

本当にたけのこみたいに成長が速いらしいから、あげたい親、もらいたい親は多そう。

●ガールフレンド/ボーイフレンド

最高の出会いを、革新的なデバイス(スマートフォン等)で。一夫多妻制とかは結局所有から利用みたいな考え方なのだろうか。

●お金

たぶん、お金を持っている人が持っていない人に分け与えることで、なんかいいことしてもらうとかそんなんだろな。これはアプリとかじゃなくてすでにありそう。

●宝くじ

あれがどれくらいの収益になっているのかわからないけど、要は国が全国の人から300円を1口に集めて、それを一部の人に高配当でシェアしてるんだろなーと思った。ぼくはネット上で100円を1口にいろんな人から集めて、誰か1人の人にあげちゃう(シェア)とかそんなことをやってみたかった。

●夕食

焼き肉とかランチとか食べようぜーって言ってお店いくやつあるけど、お店じゃなくて、自宅に招待する。知らない人とご飯食べてどれくらい楽しめるんだろう。ぼくはそんなに楽しめないかも。

●有給

持っているけど使えないものランキング1位。持て余してるものランキングでも1位。シェアして使えたり、売れたりしたら最高。

なぜTSUTAYAではDVDを4枚以上借りると1枚100円にディスカウントされるのか

TSUTAYAにDVDを借りに行ったら、4枚借りただけなのに、料金は2000円くらいだった。ぼくはレンタルショップの期日だけは結構守る男だ。レンタルショップの期日すら守れない男に一体なにが守れるというのだろう。

いまではいろんなサービスが出て、レンタルショップに行かずとも映画が見られるようになった。ちょっと前まではHuluを使ったりもしたけれど、あの狭い通路を他の人に気を使いながらすれ違い、お目当ての作品を掘り起こすことにこそ魅力があると思っている。そう自分に言い聞かせている。

どれくらい前からだろう、TSUTAYAではDVDを4枚以上借りると、1枚100円になる料金プランが登場した(他のレンタルショップもおそらくそうなのだろう、ぼくは借りないから知らないけど)。そうなると、どうなるのか。きっとみんな4枚とか5枚とか、下手したらもっと借りてしまうのだと思う。誰だってそうするし、ぼくもそうする。

話はまた少し変わって、つけ麺屋さんにたまに行くのだが、あそこも料金システムがおもしろい。だいたいどこもそうだと思うのだが、「大盛り・中盛り・普通盛り」のどれを頼んでも料金は同じになっている。つけ麺屋さんはおそらく、「大盛り・中盛り・普通盛り」の価格をそれぞれ3つ用意するのではなく、大盛りの価格を提示しダウンサイズしたお客さんからの差額で利益を最大化させているのだろう。

1週間に見ることができるDVDのぼくの「普通盛り」はおそらく2枚か3枚だが、そうすると4枚借りるよりも倍近く高くなってしまう。そうなるともう、1枚100円の魔力で4枚以上借りてしまうことはざらだ。自分の限界はもうとっくに超えているにもかかわらず。

そうするとどうなるのか。借りたDVDを全部見られることはかなり稀だと思うが、見ることができないDVDを保有しているため遅延が発生するか、ぼくみたいに律儀な男は見られる分だけ見てちゃんと返却し、次に見ることができなかったDVDをもう1度借りることになるのではないか。

極めて個人的な体験からだが、この1週間にDVD4枚以上という設定がまず絶妙だ。ぎりぎり1週間で見られるかもしれないし、見られないかもしれない。あとは、大量に借りる人がいる中で、1枚1枚正規の価格で貸すよりも、4枚以上をまとめて渡してしまい、そこから遅延金を巻き上げるか、借りたのに見ることができなかったことで再来店の機会をコストをまったくかけずに促すことで得られる利益の方が大きいということなのだろう。ぼくはいままではTSUTAYAに直々に返しに行っていたが、ポストで返せるやつ便利だなとそれを試してみたら、投函するタイミングが遅れてしまったのか遅延料金が加算され次回のレンタル時にはいつもの5倍ほどの出費が降りかかってきた。

いまでは誰もが知るサービスになったAirbnbやUberが凄まじいスピードで成長することができたのは、人が生きる上で発生するコストの上位3つの内2つに目をつけたことで、家賃(収入の18%)、食費(同17%)、交通費(同16%)がそれにあたるそうだ。

TSUTAYAへの出費はこのどれにも当てはまっておらず、もし作り上げる新しい素敵なサービスもそれにあてはまらないなら、どうやってお客さんに「普通盛り」を頼ませないか(または気づかせずに「大盛り」を頼ませるか)、またそれにもかかわらずまた来てもらえるかを設計することはきっと重要なファクタになるだろう。

時間は未来から過去に流れているし、未来を変えることで現在は変えられる

”われわれは現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。 過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。”

これはフランスの哲学者の名言で、名前はアランという。きっとなかなかに辛いことがあったのだろう、ぼくも辛いことがたまにはあるし、「あのときこうしていれば」という後悔も多い。幸福論で名高いこの哲学者は、第一次世界大戦で志願兵として最前線で戦っていたそうだから、そのときのことを表したのかもしれない。くよくよすることはない。なぜなら悩みの種は過去のことだし、その因果として起きるだろう被害はまだ発生していないから、とりあえずいま全力でがんばれよ、とそんなところだろうか。「過去」の後悔は「未来」に影響を及ぼさないし、良い「未来」を迎えるためには、こうありたいという今を強く生きる意志なのかもしれない。

でもアラン、時間は過去から未来に流れていると思うかもしれないけど、本当はその逆かもしれない。

 

時間は過去から未来ではなく、未来から現在そして過去へと流れている

「今今と今という間に今ぞ無く 今という間に今ぞ過ぎ行く」。これも相当に有名な一節だが、「現在」は一瞬で「過去」になる。そして「現在」はほんのちょっと前の「未来」で、いままさにやっていることも、少し時間が経っただけでそれはもう「過去」のことだ。明日は今日に、今日は昨日に、昨日は一昨日になる。つまり、「現在」が「過去」になっている。現在の行為はどんどん過去になり、現在の結果として過去が蓄積される。ぼくがいる位置が「現在」だとすると、「未来」がそこにどんどんやってきては「過去」に過ぎ去っていく。

むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいて、おばあさんは川でせんたくをしていた、としよう。おばあさんは上流(未来)をふと見上げる。川(時間)の流れはもちろん、上流(未来)から下流(過去)だ。おばあさん(現在)のいるところをとめどなく過ぎ去っていく。そして上流から大きな桃がどんぶらことやってくる。それに続いて、大きな蜜柑も流れてくる。通常の時間感覚だと「あのとき桃を拾わなかったから、蜜柑が流れてきてしまった」とか「あのとき桃さえ拾っておけば、鬼は退治できたのに」と過去の行為を後悔することもあるかと思う。しかし、「未来」から時間が流れているとすれば、「未来」における何らかの因果で、桃と蜜柑の順番に流れてきているだけだし、どちらかを拾わなかったという後悔は「未来」において何の影響も及ぼさない。

 

未来を変えることで現在は変わる

 量子力学の世界では、「観測される前の時点での粒子の状態は単に未知であるのではなく、そもそも決定されていない」。観測者の「観測」するという行為自体が粒子の状態を決定すると考えられている。「シュレディンガーの猫」の思考実験を基にするこの考え方を、「神はサイコロを振らない」と言って20世紀最高の科学者は批判したが、どうやらぼくらの想像も及ばない小さな世界では正常に作用しているらしい。 

ワシントン大学のカーター・マーチ教授は実験で、粒子の未来の状態を知ることで、その粒子の過去の状態が変化することを実験で発見した。つまり、「未来」を知ることによって「過去」を変えることができるということで、これがもしも古典力学の世界にもあてはまるとしたら、「現在」のぼくらの行為は、「未来」のぼくらの意思決定が影響を及ぼしていることになる。

実験内容についてはここでは触れないが、簡単に言うと、時間が正方向にだけ流れているとして、箱の中の未知の量子の状態を当てる確率は50%だった。しかし時間が逆方向にも流れることを計算に入れると、その正解確率は90%にまで上がったという。この結果は、量子力学の世界では時間が正方向にも逆方向(未来から過去)にも流れていることを示唆している。つまり、「現在」どんな状態なのかわからない粒子の状態を、(当たり前のことを言っているようだが)「未来」の粒子の状態を知ることによって、高い確度で予想することができるということだ。

 

おばあさんに話を戻すと、片側が桃で反対側が蜜柑という不思議な果実が流れてくる。さて中身は桃太郎なのか蜜柑太郎なのかとなったときに、鬼が退治されているのか、蜜柑を鬼に納めているかの未来を知ることで、どちらの太郎かを当てる確率が格段に向上するというところだろうか。

「鬼が退治される未来」がわかっているのに、残りの10%でしかない蜜柑太郎が出てきてしまうことだってあるだろう。あのとき桃を拾っておけばよかったなとならないように、2016年末を見通すように、今年の計画をしっかり建てようと思う。