ダンスホールは踊らない

3種類の人間がいる。ダンスホールに一緒に行った人と踊る人間、ダンスホールにいる人と踊る人間、そして、ダンスホールで踊らない人間だ。ぼくはダンスホールには行かない。

パット・ライリーとクックパッド〜ダンスはパーティに連れて行ってくれた人と踊るべきなのか〜

NBAロサンゼルス・レイカーズニューヨーク・ニックスそしてマイアミ・ヒートと異なる三つのチームで最優秀監督賞を受賞した唯一の人物に、パット・ライリーという人がいる。監督として有能なのはもちろん選手としても、1967年のNBAドラフト全体7位でサンディエゴ・ロケッツに指名を受けるばかりでなく、同年のNFLドラフトでもダラス・カウボーイズから12巡で指名を受けるというアスリートだったそうだ。

場面は1994年、同氏がヘッドコーチを務るニューヨーク・ニックスNBAファイナルまで勝ち進み、ヒューストン・ロケッツと第7戦(プレーオフは先に4勝したチームの勝ちなので、つまり最終戦)までもつれる熱戦を繰り広げていた。”ショータイム”と称されたレイカーズでのオフェンシブなイメージが強いが、実はディフェンスを非常に重要視する監督で、ニックスは強烈なディフェンスでレジー・ミラーペイサーズ、(マイケル・ジョーダン不在とはいえ前年覇者の)ブルズを退けて決勝の舞台までたどり着いた。功労者として、大黒柱のパトリック・ユーイングの活躍はもちろん、ジョン・スタークスの名前が挙げられる。

ジョン・スタークスは熱い選手だ。学生時代は奨学金とアルバイトでオクラホマ州立大に通い、ドラフトから漏れたため、マイナーリーグからそのキャリアをスタートさせた。拾ってくれたニックスに忠誠を誓い、勝利に対する執念を全面に出した激しいディフェンスで、ファンから非常に愛された。前年のプレーオフでも、マイケル・ジョーダンとのマッチアップで互角の戦いを演じたこのシューティングガードは、ファイナルまでの道のりで、何度もチームを窮地から救った。しかし一転、ファイナルでは絶不調に陥る。ことごとくシュートは外れ、最終戦を落とし優勝をロケッツに譲った戦犯として、スタークスはメディアからの批判の矢面に立たされる。

当然、ライリーも同様にメディアからの批判の対象となった。不調のスタークスを起用し続けたからだ。「なぜ絶不調だったスタークスを使い続けたのか」という問いに、ニックスのヘッドコーチはこう答えた。「ダンスはパーティに連れて行ってくれた人と踊るものさ」

先日、クックパッドの創業者で大株主の佐野陽光取締役の解任報道で、界隈に衝撃が走った。よくある話で片付けてしまえばそれまでだが、世界一有名な話になると、スティーブ・ジョブズの解任から復帰、そして史上最も企業価値のある企業まで上り詰めたサクセス・ストーリーだろう。両者とも、パーティに連れて行ってくれた人とは違う人と踊る決断をしたことになる。

先日オスカーを初受賞したレオナルド・ディカプリオの大好きな映画に、ウルフ・オブ・ウォールストリートというものがる。マーティン・スコセッシ監督とのゴールデンコンビが織りなす5回目の作品で、第86回アカデミー賞において作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、脚色賞の6部門にノミネートされ高い評価を受けた。ディカプリオの狂気に満ちた演技、妖艶なマーゴット・ロビー(なんてことだろう、驚くべきことに彼女はこのとき23歳)、金に塗れ狂っていく人々、カニエ・ウエストの曲がリズムよくかかるトレイラーまでもが最高だった。劇中、ジョーダン・ベルフォートという実際の人物を演じたディカプリオは、創業時の腐れ縁だった会社の経営陣との関係、悪事を断てずに結局はFBIに逮捕されてしまう。

企業として、株主として、単純にその人自身として、”誰とダンスを踊るべきなのか”という選択を迫られるときもあると思う。ぼくはパーティに連れて行ってくれた人とずっと踊っていたいと思う。